信頼できる医師と出会えたことで、
ADPKDでも何かを諦めたりする必要はなく、
何でもできるのだと思えるようになりました。
ADPKD(常染色体優性多発性嚢胞腎)であることを長い間知らず、病院を転々としてきたAさん。一時はメンタル的にも追い詰められ、思い悩んだ時期もあったそうです。しかし、病気としっかり向き合い納得できる治療を求めて行動したことで、今では前向きになりさまざまなことにチャレンジする日々を送っています。
家族にはADPKD患者がおらず寝耳に水だった
Aさん
私の場合、両親や祖父母も含めて、腎臓疾患があったり透析をしていたりという親戚は聞いたことがありませんでした。ですから、ADPKDどころか自分に腎臓疾患のリスクがあることなど思いもしていませんでした。ただ、35歳ぐらいから健康管理として人間ドックを受けていて、40歳になった頃から血圧が高くなっていました。そこで、勤めている会社近くのクリニックで高血圧の薬を処方してもらいながら、血液検査や尿検査を半年に1回程度受けていました。
武藤先生
そのクリニックではADPKDとは診断されなかったのですか。
Aさん
はい。しかし42歳の頃から、血液検査でクレアチニン値が1.2mg/dL、1.3mg/dLと毎回上がっていました。私は医薬品関係の仕事をしていたことから、クレアチニン値が高いことは腎臓機能の低下を意味することを知っていました。通っていたクリニックは循環器内科が専門だったため、先生に腎臓内科を紹介してほしいとお願いしたのですが、「血圧を下げる薬を処方されるだけだから」と言われてしまいました。
武藤先生
ご家族にADPKDの患者さんがいなかったこと、さらにCTなど詳細な検査が行われなかったことが、診断が進まなかった要因だと言えますね。たとえ家族歴がなくても、CT検査で腎臓に多数の嚢胞が見つかれば、その時の判断はまた違ったものになっていたと思います。
Aさん
その後、別のクリニックを受診してもCT検査は行われなかったのですが、血液検査をこまめに行ってくださり、クレアチニン値が1.9mg/dLまで上がったところで、ある大学病院の腎臓内科を紹介していただきました。この時点で2019年1月になっていました。
武藤先生
それからさらに1年以上が経過して、ようやく私の元を訪ねてくださったのですね。以前の大学病院でADPKDと診断されたときには、とても驚かれたのではありませんか。
Aさん
仕事柄、疾患の名前は聞いたことがありました。しかし、「まさか自分が」と正直ショックでしたね。それで、2歳年下の妹にはすぐに打ち明け、検査を受けさせました。幸い妹には症状が見られず、ホッとしたことを覚えています。一方で、妻に話すときはなかなか大変でした。それまで自分がADPKDであることなど知らなかったためどうしようもないことでしたが、小学生の子どももいたので遺伝のことも心配でしたし、将来のことを考えて1人で抱え込んでいた時期もありました。
心身ともに健やかな毎日を送るため無理はしないこと
武藤先生
Aさんは2020年に当院を受診されてすぐに、ADPKDの治療を始められています。しかし、血圧が高いと診断された段階で、その原因を詳細に探るということがもう少し行われていれば、腎臓機能が今よりも維持された状態で治療が始められたはずです。ADPKDは、医療人の中でもまだ歴史の浅い疾患であるため、認知が進んでいない点があることは否めず、非常に歯がゆい思いです。
Aさん
正直言って、武藤先生にたどり着いた頃の私はメンタル面でも良くない状況でした。ADPKDは非常に深刻な病気だと捉えていて、やがて透析になってしまうのだという不安に押しつぶされそうでした。妻も同業であるため疾患の特徴を知っており、自分がつくる食事で何とかできないかと、減塩に気を使って頑張ってくれていました。しかし、何をどれぐらい頑張れば良い方向に向かうのかが分からず、2人とも精神的に追い詰められていました。ところが、武藤先生は初めて受診したときから、「あまり深刻にならなくてよい」と伝えてくださり、張りつめていた気持ちがフッとほぐれました。
武藤先生
ADPKDは、ある時期だけ何かに気を付ければ治るという疾患ではなく、一生付き合っていく必要があります。一方で、透析に至っても生命予後が短いとは限りません。言い換えれば、ADPKDではない人と同じぐらいの長い人生を過ごすこともあるということです。そう考えると、厳し過ぎる食事制限などでストレスがかかるのは良くありません。人間は腎臓だけでできているわけではないので、心身ともに健やかな毎日を送るためにベストなことを心掛けさえすればよいと私は考えています。
Aさん
毎月通院して武藤先生とコミュニケーションとることで心も落ち着き、先生の指導に沿ってADPKDと付き合っていこうという覚悟ができました。日常生活や治療について不安があれば何でも気軽に相談ができるので、腎臓の数値が気になりだしてから初めて、楽な気持ちで疾患と向き合えています。
武藤先生
ADPKDの治療が始められたこと、そして疾患についてしっかりと学ばれ理解されたことが、気持ちが前向きになるきっかけになったのではないでしょうか。Aさんは今後、やってみたいことなどはありますか。
Aさん
武藤先生と出会ってからどんどん湧いてきている感じです。以前は、透析病院や体に良いとされる民間療法を調べるなど、やりたいことどころか病気のこと以外何も考えられない日々でした。しかし今では、ずっと飼いたかった豆柴を迎えて毎朝3~4㎞散歩しています。安心が得られて、ADPKDでも何かを諦めたりせず、何でもできると思えるようになりましたね。
武藤先生
私自身、臓器や疾患だけを相手にするのではなく、患者さんという一人一人の人間と向き合うことを心掛けています。ですから、Aさんが前向きになってくれたことは非常にうれしいことです。これからも不安や悩みを解消しながら、やりたいことをたくさん見つけて一緒に頑張っていきましょう。
2021年4月作成
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武藤先生
Aさんが順天堂医院を受診されたのは2020年5月のことでした。しかし、ADPKDと診断されたのはそれより前の2019年で、さらに、ご自身で腎臓の数値が気になりだしたのは6年も前のことだそうですね。