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第16回 新潟県在住 Sさん

過剰な我慢をせずしかし一定の制限は守るというバランスが大切ですね

過剰な我慢をせず
しかし一定の制限は守るという
バランスが大切ですね

多発性のう胞腎(ADPKD)と長く付き合うためには、“無理せず、怠けず”をモットーに食事や生活の制限を適度に緩めたり、厳しくしたりしてメリハリをつけることが大切だというSさん。現在、血液透析もポジティブに捉え、趣味を楽しみながら人生を謳歌なさっています。

多発性のう胞腎(ADPKD)と長く付き合うためには、“無理せず、怠けず”をモットーに食事や生活の制限を適度に緩めたり、厳しくしたりしてメリハリをつけることが大切だというSさん。現在、血液透析もポジティブに捉え、趣味を楽しみながら人生を謳歌なさっています。

くも膜下出血により発見された聞いたこともないADPKDという疾患
くも膜下出血により発見された聞いたこともないADPKDという疾患

“It is no use crying over spilt milk (こぼれてしまったミルクを嘆いても無駄だ)”——これがSさんの座右の銘です。一度起きたことは二度と元に戻らないという意味の故事成語“覆水盆に返らず”と似ているようですが、Sさんの捉え方は異なります。
「“嘆いていても仕方がない。また別のミルクを注げばよい”とポジティブに考えなさいと教えてくれるのが、“It is no use crying over spilt milk”という英語のことわざだと思っています。起きてしまったことを嘆いていても何も始まりません。それだったら、残ったミルクを大切にしたり、新たなミルクを手に入れようとしたり努力する方がよいですね」。
こう語るSさんは、多発性のう胞腎(ADPKD)と診断されて18年、血液透析を始めて12年が経過しましたが、診断当初は非常に危険な状態だったといいます。1999年、Sさんは仕事中にくも膜下出血を起こしました。突然頭を殴られたような強い衝撃と痛みを感じたそうです。しかし、当時のSさんは31歳という若さで、体の不調などとは無縁であり、ご家族や親戚の中にもADPKDと診断されたことのある人がいなかったため、診断を受けるまでには時間を要しました。
「夜間の救急外来で『異常なし』と言われ帰宅しましたが、翌日には左目が見えにくくなり、左半身にも力が入らなくなってしまいました。再度病院に行き、入院して精密検査を受けましたが、1週間は原因不明のままでした。ところが新たに血液検査をしてみると、腎機能の低下が見つかり、腹部エコー検査によりADPKDが確定したのです」。
聞いたこともないADPKDという疾患にとまどいはありましたが、まずはくも膜下出血の治療を行うことが先決でした。開頭によるクリッピング手術を受け、半年間のリハビリテーションを乗り越えて、ようやくADPKDと向き合うことができたそうです。
「当時はまだADPKDには治療法がなかったばかりか、患者向けの情報もほとんどありませんでした。私は帰国子女であったため、海外の論文を探して勉強したり、日本の学会などにも参加したりするなどして情報を得ていました。食事療法にも取り組みました。たんぱく質の摂取を減らしつつ満腹感を得るために、くずきりや春雨などを活用してボリューム感を出す工夫をし、唐辛子やワサビ、酢などの他、コリアンダーやターメリック、クミンなどの香辛料をそろえ、塩分摂取量を減らすための献立づくりと調理も始めました」。

実は、Sさんは学生時代に体育学部で栄養学を学んでおり、レストランの調理場でアルバイトの経験があったため、栄養管理や調理は得意分野だったそうです。とはいえ、少ない情報の中で一から食事制限の献立を考え、食事管理を続けていくには苦労もあったはずです。それでもSさんはあくまでポジティブでした。
「適度に羽目を外す日を設けることで、モチベーションの維持にもつながりました。ADPKDの診断当初、主治医から『食事制限も無理をすると精神的に参るので、頑張り過ぎないように』とアドバイスされたことも役に立ちました。塩分の制限についても、全てのおかずを薄味にするとまさに味気なく、食事が苦痛になります。そこで、私はおかずの中の1品だけにしっかりと塩分を利かせ、それ以外には一切塩分を使わないというメリハリを付けました。人それぞれに合ったやり方がありますから、トライ&エラーを繰り返しながら長く続けることのできる制限方法を見付けることが大切だと思います」。

マイナス面にばかりとらわれずできることに感動する マイナス面にばかりとらわれずできることに感動する

ADPKDと診断されてから6年後、Sさんは嚢胞感染により5日間高熱が続いたことで急激に腎機能が低下しました。血液透析を開始することになり、月・水・金の夜間、4時間から4時間半をかけて血液透析を受け続けています。しかし、ここでも“It is no use crying over spilt milk”という座右の銘が生きています。
「血液透析はマイナス面ばかりが目立つかもしれませんが、考えてみれば、週に3回約4時間、誰にも邪魔されない時間を持つことができるのです。仕事の電話にも出なくてよいし快適です。さらに、血液透析を開始したことで、保存期には制限していたコーヒーを1日3杯は飲めることが分かりました。私は大のコーヒー好きなのでうれしかったですね」。

悪いことばかりを考えず、できることを楽しむ、制限も頑張り過ぎずにメリハリをつける――そのようにしてADPKDと向き合い続けるSさんの力の源の一つが、たくさんの友人たちと共に趣味である競馬を楽しむことだといいます。
「馬が好きで競馬場を訪れ、発走前の馬たちが周回するパドックにも足を運んでじっくりと観察しています。パドックは本馬場から少し離れた場所にあるため、実はこれが良い運動にもなっていて、健康にも貢献していると思っています」。
友人たちとその日のレースを分析し合う反省会にも参加し、この場では食事制限を解除してお酒を楽しむそうです。
「もちろん、自分の中で“これ以上は超えない”というマイルールを定めています。ADPKDは長く付き合う疾患ですから、過剰な我慢をせず、しかし一定の制限は守るというバランスが大切ですね」。
大学時代は体育会のバレーボール部に所属していたSさんは、当時のチームメイトたちと付き合いが続いており、ADPKDについても伝えています。心配を口にしないながらも、ありのままを受け入れてくれている良い仲間たちだとSさんは教えてくれました。

「仕事も趣味も友人との交流も無理はせず、でもやれることは何でもやっていきたいですね。仕事で定年を迎えた後は何か新しいビジネスに挑戦してみたいと考えています。趣味の競馬のこと、あるいは無理のない食事制限のレシピ集など本を書くのもよいかなと思っています」。
疾患があっても、やりたいことがあるのならできる方法を考える。それが100%の満足はなくても、そのことを嘆くのではなく、できることに感動すればよい———くも膜下出血から生還したからこそ、そう思うとSさんは言います。
「私がADPKDと診断された頃、治療法はありませんでした。しかし、今は治療法があります。5年後、10年後にはもっと進化した治療ができるようになっている可能性もあるはずです。だからこそ、いつ、どんな治療にも対応できるよう、体も心も健康でいることが大切だと思います。そのためにも、抑えるところは抑えつつ、肩ひじ張らず、のんびりとADPKDと付き合っていきたいですね。」

ADPKDと診断された患者さんへのメッセージ

早く専門医と相談し、適切なタイミングでの治療を考えてほしいと思います。両親や祖父母など、身内に腎臓系疾患を持つ人がいたら、あるいは持っていた人がいたという話を耳にしたら、怖がらずに勇気を出して専門医に相談するべきです。自分は大丈夫、などと勝手な思い込みはいけません。私もそうしていれば、早めにADPKDを見つけることができたかもしれません。とはいえ、当時は治療法がなかったため、できることは限られていたでしょう。一方、今は治療法があります。知らずにいたり、あるいは目を背けて放っておいたりすることは、一番もったいないことです。正しい知識を得ること、そしてやるべきことをやること――そうすれば、疾患を必要以上に怖がることはないと思います。

早く専門医と相談し、適切なタイミングでの治療を考えてほしいと思います。両親や祖父母など、身内に腎臓系疾患を持つ人がいたら、あるいは持っていた人がいたという話を耳にしたら、怖がらずに勇気を出して専門医に相談するべきです。自分は大丈夫、などと勝手な思い込みはいけません。私もそうしていれば、早めにADPKDを見つけることができたかもしれません。とはいえ、当時は治療法がなかったため、できることは限られていたでしょう。一方、今は治療法があります。知らずにいたり、あるいは目を背けて放っておいたりすることは、一番もったいないことです。正しい知識を得ること、そしてやるべきことをやること――そうすれば、疾患を必要以上に怖がることはないと思います。

2017年11月作成
SS1710579

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