40歳を過ぎて新しいことへの挑戦にワクワクできるのも、この病気と出合い、人生と真剣に向き合うようになったためかもしれません。家庭でも仕事でも、病気になってからの方が幸せを感じることが多くなりました。
お母様が病に倒れたことがきっかけで、ご自身を含む三兄弟がADPKD(常染色体優性多発性嚢胞腎)と診断されたTさん。しかし、必要以上に悲観的になることなく、自然体で病気と向き合い、医学の進歩による未来の治療にも希望を寄せています。新しいチャレンジにも精力的に取り組むTさんに、お話を伺いました。
Q どのような経緯でADPKD/多発性嚢胞腎であることを知りましたか?
母が58歳の時、くも膜下出血で倒れて救急搬送されました。一命は取り留めたものの、それがきっかけでADPKD(常染色体優性多発性嚢胞腎)であることが分かり、先生に「遺伝性の病気であるため、ご家族も検査をした方がいいですよ」と言われたんです。私は三兄弟の末っ子で、当時は29歳でした。聞いたこともない病気でしたが、兄弟みんなで検査を受けたところ、3人ともADPKD/多発性嚢胞腎であると診断されました。
Q お母様は、腎臓の病気について話されることはなかったのでしょうか?
血圧は高かったようですが、特に治療を行っていませんでした。ADPKD/多発性嚢胞腎という病気を知らないのはもちろん、母自身も腎臓が弱っていたことに気付かないままだったようです。しかし思い返してみると、私の叔父が40代という若さでくも膜下出血で亡くなっており、また母方の祖父と祖母も50代の頃には腎臓を悪くして人工透析をしていたという話を聞いたことがありました。おそらく、同じ病気だったのかもしれません。母は救急搬送の後、すぐに透析治療が始まり、10年程は元気にしていましたが、2014年に亡くなりました。
Q ADPKD/多発性嚢胞腎と診断された時、どのように思われましたか?
私も母や叔父と同じような運命をたどるのかと、最初は不安を感じました。すぐに血圧のコントロールも始めましたが、先生がADPKD/多発性嚢胞腎の経過や合併症などを詳しく説明してくれて、誰もがくも膜下出血を起こすわけではなく、また人工透析を必要としないまま生涯を終える人もいると分かり、安心することができました。あまり心配しないでいようと、楽観的に考えるようにしましたね。
病気に関しては情報収集も一応は行いましたが、インターネットなどには良くないことも書いてある場合が多く、正しいかどうかの判断ができないような情報もあるので、余計な情報は入れないようにしました。ただし、兄たちとは情報交換をよくしていて、お正月やお盆などに集まった時には、クレアチニンの数値などを教え合ったりしています。私にとっては心強い存在ですね。
Q 奥様はこの病気をどのように受け止められていますか?
「分かった、頑張っていこうね」というのが、ADPKD/多発性嚢胞腎であることを知らせた時の妻の言葉でした。大らかに受け止めてくれたことがありがたかったですね。ただし、当時すでに息子が生まれていたため、彼に遺伝していないか、その点については心配もあります。しかし、私も妻も悲観的になるのは好きではありません。今は腎機能を温存するための治療がありますし、iPS細胞を使ったさまざまな病気の治療が実現へと進んでいることも聞いています。ADPKD/多発性嚢胞腎の未来が明るいものになると信じています。
Q 日常生活ではどのようなことに注意されていますか?
3年前からウエイトトレーニングを続けています。これはメタボ予防のためもありますが、40歳手前で“このまま老いていくのは嫌だな”と感じ、新しいチャレンジをして何かを成し遂げたいと思ったことがきっかけです。ウエイトトレーニングをして筋肉がつくと、メタボ予防になるだけでなく、心肺機能が上がり免疫力も強化されるのでお勧めしたいですね。
Q 食生活の面で気を付けていることはありますか?
“以前の生活のここを改善した”ということはほとんどありません。病気が分かったのが29歳とまだ若かったので、食生活でも好きな肉料理を食べたり、お酒もタバコも続けたりしていました。塩分の摂取量もあまり気にしませんでしたね。むしろ、節制をし過ぎてストレスをためることの方が悪いのではと考えて、わりと自由な生活を続けました。とはいえ、ADPKD/多発性嚢胞腎と診断されてから10年以上が経ち、私も40代になりました。同じ年代の男性たちと同じように、高血圧やメタボが気になり始める頃です。それで最近では、野菜を多めに摂るようにし、玄米を取り入れるなど食生活を少しずつヘルシーにしています。タバコもやめました。ただし、お酒は好きなので毎日ビールでの晩酌は続けています。病気のための努力というよりも、年齢を重ねて自然な流れで食生活が変化してきたという感じです。
Q ADPKD/多発性嚢胞腎に対する治療の存在を知った時はどう思われましたか?
本当にうれしかったですね。医学の進歩に、ただただ感謝の一言です。母が10年ほど透析治療に通っている姿を見てきたため、このまま無治療でいると仕事を持つ身としてはなかなか難しい状況になると考えていました。やはり透析は負担も大きいので、少なくとも働いているうちは人工透析を避けたいと思い、病気の進行を遅らせる可能性があるなら、すぐにでも治療を始めたいと思いました。妻もぜひやった方がいいと背中を押してくれて一歩前進することができました。
Q 今後の目標についてお聞かせください。
3年前から始めたウエイトトレーニングと同様に、いろいろなことにどんどんチャレンジしていきたいと思っています。行ったことのない国を旅行したいし、ゴルフも続けたいですね。たくさんの出会いや挑戦にワクワクできるのも、この病気になり、人生と真剣に向き合うようになったためかもしれません。
家庭でも仕事でも、病気になってからの方が幸せを感じることが多くなっています。考えても仕方がないことは考えず、楽観的に、でも真剣に生きる――新しい治療が生まれたことで、ますます今後が楽しみになっています。