孫と元気に遊ぶおばあちゃんになるのが今の目標。
納得いくまで病気と向き合えば、やりたいことを諦めずに済むことも分かってきます。
仕事にボランティア活動にと、忙しくも充実した毎日を送るKさん。学生時代にADPKD(常染色体優性多発性嚢胞腎)と診断され、治療法がない時代を経て出産や子育てを経験し、今、治療法があることで将来の新たな夢ができたと言います。
治療法が生まれたことは患者さんの精神的な支えになっている
Kさんは医療系の専門学校に通っていた頃、腹部超音波検査の実習で患者さん役のアルバイトをしたことがきっかけとなり、自身がADPKD(常染色体優性多発性嚢胞腎)であることを知りました。実はそれ以前からお母様がADPKD/多発性嚢胞腎と診断され人工透析を受けていたため、知識は持っていたそうです。しかし、自分にも関係する疾患であるという実感が持てずにいました。
「超音波検査の実習中、私の腹部の画像を見ていた学校の先生が腎臓ののう胞に気付き、専門病院での検査を勧めてくれました。母がつらい人工透析生活を送る姿を見てきたため、"自分もいずれ人工透析を受けるようになるのでは"という不安を初めて現実的に感じたのもこの時です。後日、ADPKD/多発性嚢胞腎であることが分かったのですが、のう胞があるため激しい運動は控えた方がいいのではないかと先生に言われ、体を動かすいくつかの実習を制限されてしまったこともつらかった記憶として残っています」。
しかし、すぐに検査を受けたところ、のう胞は認められても腎機能の数値には問題がなく、以前と変わらない生活が戻ってきました。その後、就職・結婚・出産と人生の節目となる出来事が続く中で、定期的な検診だけは受け続けていたというKさんですが、当時は治療法がなかった時代で、忙しさもあり、いつしか検診を受けなくなっていました。
「治療法がない中で、腎機能が低下していないかだけを定期的に調べ続けるということへのモチベーションを保つのは大変です。母は兄弟が多く、みんなが人工透析生活を見守っていたため、私のこともとても心配してくれました。しかし、みんなを安心させるために『私はまだ大丈夫だよ』と言うしかないことも精神的には負担でした。そのため、治療法が生まれている今の状況は非常に心強く、精神的な支えにもなっています」。
2016年から治療薬の服用を開始したKさんですが、実はもっと早い段階から薬の情報を知っていました。しかし、病院を転々としていたこともあり、スタートのタイミングがつかめなかったと言います。
「出産後、受診していた腎臓内科の医師に子どもへの遺伝の可能性について質問したところ、『ADPKD/多発性嚢胞腎の人は、出産は十分な検討をされた後で』と言われてしまい、非常にショックを受け、主治医との相性には神経質になっていた部分がありました」。
仕事もボランティア活動も以前と変わらず続けられる喜び
Kさんが初めて治療薬の情報を得た医師は、薬に関する詳しい話をしてはくれたものの、「現在の仕事を続けることは難しい」など、今思えばマイナス面を強調する説明に感じるものだったと言います。当時から、Kさんは複数の仕事を掛け持ちしながらボランティア活動にも関わるという忙しい日々を送っていました。どちらも大切な生きがいであり、それができなくなる可能性があると聞いたため二の足を踏まざるを得ませんでした。
「出産後から血圧が少しずつ上がっていて、上は140〜150mmHg、下は80〜90mmHgを推移していたため、高血圧の治療は始めていました。それでも、ADPKD/多発性嚢胞腎に対する治療ではないため、他にできることがあれば受けてみたいという気持ちはありました。そうした迷いの中にいたとき、新しく主治医になった医師が『生活上の不便は出るかもしれないが、体が慣れることもあるし対処法も考えられる』と話してくれました。その言葉に背中を押され、服用を開始する決心ができたのです」。
主治医の言葉通り、現在も変わらず仕事とボランティア活動を続けることができているKさん。心配していた生活への影響にも上手に対応し、制限や負担を感じることもないそうです。大学生になった息子さんが高校生の頃は、所属していた野球部の試合を応援するため球場にもたびたび足を運びましたが、何も問題はなかったそうです。
「息子にはADPKD/多発性嚢胞腎の話を伝えてあります。本人は私の母、つまり彼の祖母が人工透析を受けていた病院に見舞いに行ったこともあります。最近は治療薬を服用しての感想などを尋ねてくることもあります。しかし、私がそうだったように、まだ若い彼には実感は持てていないと思います。今は、大学を卒業したあたりのタイミングで、検査を勧めてみようと考えています」。
以前、Kさんは両親からADPKD/多発性嚢胞腎について謝られたことがありました。遺伝について両親に不満を感じたことなど一度もないため驚いてしまいましたが、自身は息子さんに対して負い目を感じることもあるそうです。しかし、Kさんが学生だった頃とは違い、今では治療薬があるという現実がうれしいと言います。
「私自身も、治療を開始したことでADPKD/多発性嚢胞腎に対して前向きに捉えられるようになりました。そして、やれることは何でもやってみようという積極的な気持ちも生まれています。そういう変化が表れたことも治療の効果の一つかもしれませんね」。
2018年4月作成
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