子どもの頃からADPKD(常染色体優性多発性嚢胞腎)である事実を知り、自分の体の状態と向き合う習慣がついたことは、私にとっての大きな財産。早くから自己管理能力が磨かれたことで、日常生活にも不便や不安を感じずに済んでいます。
Nさんが自身のADPKD/多発性嚢胞腎を認識したのは、小学生になって間もない頃でした。医師であるお父様がこの病気について知る機会を幼い頃から設けてくれたおかげで、病気を冷静かつありのままに受け止め、自分の体と健康をセルフケアする意識が育まれたそうです。“一病息災”を体現するNさんにお話を伺いました。
Q どのような経緯でご自身がADPKD/多発性嚢胞腎であることを知りましたか?
ADPKD(常染色体優性多発性嚢胞腎)という疾患の存在を知ったのは小学校低学年の頃です。私の父は医師なのですが、ある日診察室に呼ばれて、「ちょっとお腹の様子を見てみよう」とエコー検査をしました。そして、「小さい嚢胞があるね」と言われ、私も一緒に自分の腎臓の画像を見せてもらいました。まだ子どもでしたから、それがどのような病気なのかを理解することはできませんでしたが、ADPKD/多発性嚢胞腎という病気があり、自分がそうであること、そして父も同じ病気であることを教えられ、事実を自然に受け止めたように記憶しています。
Q ご家族はこの病気をどのように受け止めていますか?
私の父もADPKD/多発性嚢胞腎であり、また父方の祖母もそうだったようです。私が小学校に入学した頃に祖母の腎臓の状態が悪くなったこともあり、父はこのタイミングでわが子の遺伝についてもしっかりと調べ、ありのままを伝えようと考えたのでしょう。ちなみに、同じ時期に検査した私の3歳上の姉には遺伝していませんでした。
Q ADPKD/多発性嚢胞腎と診断された後の生活はどのようなものだったのでしょうか。
両親からは、「腎臓の負担になるので疲れすぎることをしてはいけない」と言われて育ちました。とはいえ、子どもですから活発に外で遊び、運動も大好きでした。中学生になり、「部活動はソフトテニス部に入りたい」と言った時には反対されましたが、私の意志が変わらないことを感じた両親は最終的には許してくれました。「本人がやりたいと言うなら仕方がない」と、心配しながらも見守ることにしたようです。
Q 成人された後はADPKD/多発性嚢胞腎とどのように向き合ってこられたのでしょうか?
高校卒業後は大学に進学し、親元を離れました。実家暮らしの頃は父の診療所で4〜5年ごとにエコー検査を受けていましたが、1人暮らしを始めてからは大学近くの腎臓内科に通い、症状はないものの経過を見るために年に1回程度は検査を受けていました。27歳の頃に高血圧気味であることを指摘され、以降は自分で携帯型血圧計を購入して経過を見ていました。30歳頃から高血圧の薬物治療を始めましたが、それ以外では検査の数値にも体調にも異常はありませんでした。
実は、この頃の主治医はADPKD/多発性嚢胞腎の専門ではない先生だったためか、「症状がないのだから受診する必要はない」という趣旨の話をされたことがあります。しかし、私としては、この病気と付き合っていくためにも状態を把握し、きちんと自己管理をしたいという思いから定期的に受診を続けていました。
Q ADPKD/多発性嚢胞腎に対する治療の存在はどのように知りましたか?
30歳を過ぎた頃、転職のために東京に移り住みました。そこで診ていただくことになったのが現在の主治医であり、ADPKD/多発性嚢胞腎が専門の先生でした。病気に対する全ての疑問や悩みに対して詳しく丁寧に分かりやすく説明していただき、私だけでなく父の状態についても相談にのってくださいました。私は以前と同様に年に1回程度受診すればよいと考えていましたが、先生は「2〜3カ月に1回は受診して、経過を丁寧に診ていきましょう」とおっしゃいました。ADPKD/多発性嚢胞腎の治療薬に関しても、治験段階にある頃からさまざまな情報を提供してくださいましたが、実際に服用できるようになるのは遠い未来だと思っていたため、承認されたと聞いた時には本当にうれしかったですね。
Q 日常生活で特に注意していることはありますか?
実は、ADPKD/多発性嚢胞腎だからといって生活面で特別に気を付けていることや、制限していることはありません。私は旅行が趣味なのですが、この1年間だけでも友人や家族と北海道や日光、伊勢、奈良、熊本などに行き、あちこち歩き回ったりドライブしたりしています。職場ではテニスサークルに所属しており、思いきり運動して汗を流すこともあります。思いのままに行動してしまう私に対して、両親は心配ながらも温かく見守ってくれています。
Q 今後の目標についてお聞かせください。
ADPKD/多発性嚢胞腎だからといって気負わず、今まで通りに楽しんで人生を送りたいですね。私は旅行がてら各地の御朱印を集めることに凝っているので、全国の寺社仏閣を巡る旅をしてみたいと思っています。体の状態をしっかりと把握していれば、その時々で適切な対応ができるため、必要以上に不安を感じることはありません。私は、幼い頃から病気を知ったことで、自分の体と向き合う習慣が身に付き、自己管理能力が磨かれたと思います。そのため、体の負担になるような無理をすることもなく、かといって必要以上に制限をかけることもなく過ごすことができています。
Q 幼い頃に遺伝性の病気(ADPKD/多発性嚢胞腎)を知ったことについて、どう感じていますか?
子どもの頃から自分の病気について知ることができたことは、本当に良かったと思っています。大人になるまで自分の健康に疑いを持ったことのない人が、ある日、突然病気だと知らされることは、心身両面において大きなストレスとなるのではないでしょうか。私の場合は、幼い頃に病気を知ったことに不自由は感じておらず、むしろ自分の体に起こっていることを早いうちから理解したために、気持ちの準備ができました。健康に関心を持って生活しながら自分の体を観察する目が養われたことは、この病気と生きていくうえでの大きな財産です。