腎臓の専門医へ。そして、ADPKD(常染色体優性多発性嚢胞腎)との出会い
私が腎臓という臓器に興味をもった初めての講義を、今でもよく覚えています。体液量を一定に保つのが腎臓の働きの1つですが、その調節にはGFR(糸球体ろ過率)とアルドステロンというホルモンが因子として関わっています。そこに3番目の因子(Third factor)の存在があるという内容の講義で、そのとき私もその研究に関わりたいと思いました。
そこで、医師になってからは腎臓の生理学をテーマとしていた薬理学の研究室に通い、マイクロパンクチャーという研究の手法を学び、その関係でアメリカに留学しました。
ADPKD(常染色体優性多発性嚢胞腎)と出会ったのは、髄質海綿腎関係の仕事で、英国で開催された国際腎臓学会にシンポジストとして招かれたときのことでした。同じシンポジウムでADPKD/多発性嚢胞腎の遺伝的な研究についての発表を聞き、興味をもったのがきっかけです。当時、ADPKD/多発性嚢胞腎は日本の血液透析の原因の第3位で、全体の約8%を占めていました。厚労省特定疾患進行性腎障害調査研究班でADPKD/多発性嚢胞腎の研究が始まったのが1990年のことで、私はその当時からつい最近まで、その研究活動に携わって来ました。
一施設あたりの患者数は少ないのでグループ研究が必要でしたが、研究のための費用やマンパワーが十分ではないなかで研究を続けて来ました。当時はADPKD/多発性嚢胞腎に対する治療が現実のものとなるとは考えていませんでした。今ADPKD/多発性嚢胞腎の治療が日本で始まろうとしており、患者さんの為にも、とても喜んでいます。
ADPKD/多発性嚢胞腎は腎臓だけじゃない、全身性の病気
多発性嚢胞腎という名前から誤解する人が多いのですが、ADPKD/多発性嚢胞腎は決して腎臓だけの病気ではなく、全身性の病気です。嚢胞は肝臓にもできますし、高血圧や脳動脈瘤などの血管の合併症に注意することも必要です。腎臓や肝臓が大きくなるため、お腹が硬く大きくなり、腹部や腰背部の痛みや血尿などを訴える患者さんも多くいます。
ADPKD/多発性嚢胞腎は、PKD1、PKD2という遺伝子の変異が原因であることがわかっています。最近はこれらの遺伝子の変異の違いが、症状の出現や病状の進行と関係することも明らかになってきました。とはいっても、症状の出方、病気の進み方には個人差が大きく、親子や兄弟でも同じではありません。この原因はまだ良くわかっていません。
しかし、医学が進歩するなかで、この病気のメカニズムなどが明らかになり、治療への道筋がみえてきています。
治療法が無い病気に届いた希望
遺伝による病気で、腎臓機能の低下を防止する治療法が無く、増大した腎臓や肝臓による症状も悪化していくADPKD/多発性嚢胞腎という病気は、患者さんのみならず、治療している医者にとっても大変な病気でした。高血圧の治療や嚢胞の縮小、感染の治療など医者が患者さんの為に出来る事は限られていました。ですから、いま治療への可能性が得られたことに対して、患者さんも医者も初めての希望を感じていると思います。
現在、治療のターゲットとして考えられているのは、腎嚢胞の増殖に関与するcAMP(細胞内で情報伝達する物質)です。このcAMPを増加させるバソプレシンや抑制するソマトスタチンというホルモンの作用を薬剤で制御することで腎嚢胞の増大が抑えられることが、動物実験のレベルで示されていました。そして、バソプレシンの作用を抑える薬剤は、長年の臨床試験で効果が認められ、2014年3月、初めてのADPKD/多発性嚢胞腎の治療薬として日本で承認されるに至りました。
30年近くもADPKD/多発性嚢胞腎の臨床研究に携わってきましたが、私が研究を続けているうちに治療薬が開発されるとは全く想像もしていませんでした。初めての治療薬が動物実験で発表され、その薬剤が日本で開発されていた事を知った時は、私にとっても青天の霹靂であるとともに大きな喜びでもありましたが、それがADPKD/多発性嚢胞腎の患者さんに投与出来る様になったことは、本当に良かったと思っています。
これまで治療法のなかったADPKD/多発性嚢胞腎に治療という選択肢が得られましたが、これからは、この薬剤の効果と副作用を良く理解して正しく使用していくことが必要になって来ました。また、この領域が脚光を浴びさらに研究が進展してcAMP以外の治療ターゲットが見つかることや、将来的にはiPS細胞の研究から遺伝子の変異をカバーするような根源的な治療法が得られる時代がくるのではないかと、今後の展開に大いに期待しています。
東原英二
杏林大学医学部付属病院 泌尿器科 特任教授
1972年 | 東京大学医学部医学科卒業 |
1976年 | 米国テキサス大学(ダラス)腎臓科フェロー |
1982年 | 山梨医科大学 泌尿器科 助教授 米国テキサス大学(ダラス)腎臓科 客員助教授として出張 |
1988年 | 東京大学医学部 泌尿器科 助教授 |
1994年 | 杏林大学医学部 泌尿器科 教授 |
2000年 | 日本泌尿器内視鏡学会 理事長 |
2002年 | 第16回日本泌尿器内視鏡学会 会長 国際泌尿器科学会 理事 |
2004年 | 第17回日本内視鏡外科学会 会長 第1回東アジア泌尿器内視鏡学会 会長 |
2006年 | 杏林大学医学部 付属病院 院長 第49回日本腎臓学会学術総会 会長 |
2011年 | 第29回世界泌尿器内視鏡学会 名誉会長 |
2013年 | 杏林大学医学部 多発性嚢胞腎研究講座 特任教授 |