全身を透明にして調べる“透明化”
上田先生
大学時代、大腸菌や酵母の遺伝子情報を明らかにするゲノムプロジェクトというのが始まり、数年後にはヒト遺伝子も解析されるだろうという話を聞き、これは今まで分からなかった生命のしくみ、もしかすると精神や意識といったことまで明らかにすることができるのではと興味を引かれたのがきっかけです。
堀江先生
先生の研究の中では概日時計が有名ですが、ゲノムプロジェクトから概日時計へと興味が移っていくわけですね。
上田先生
地球上の生物の多くは24時間周期のリズムを持って行動していますが、これを生み出しているのが概日時計と呼ばれる全身の細胞が持つ時計機能です。ゲノムプロジェクトが一段落してポストゲノムという言葉が出るようになり、当時お世話になっていたソニーコンピュータサイエンス研究所の北野宏明先生が「システムバイオロジー」という概念を示され、その一つのテーマとして概日時計の研究を進めることになりました。
堀江先生
概日時計の研究についてお聞かせいただけますか。


上田先生
物理学では時間や空間といったものに対する議論は非常に深まっているのですが、生物学ではまだ曖昧で、具体的に説明されたものがあまりなかったのです。それが時間について研究しようと思ったきっかけです。
堀江先生
医学の世界でも時間というのはあまり登場してこないですね。我々は病気の経過を見てはいますが、それも一瞬、一瞬、固定されたものを見ていることが多い。
上田先生
時間は、医学をはじめ、さまざまな分野に重要な観点を提供するのではないかと思い、時間生物学の具体例として概日時計の研究を行っています。
堀江先生
その研究を進めていく過程でCUBICと呼ばれる透明化の技術を開発されたのですね(図)。私は専門が腎臓なので、腎臓での透明化の研究を拝見して非常に感銘を受けたのですが、透明化というのは自分が見たいと思っているものを抽出できるのですか。
上田先生
透明化は細胞を構成するタンパク質および核酸を見る技術です。細胞は、水、脂質、タンパク質、核酸などで構成されていますが、それぞれ光に対する性質が異なっていて、光が進む速さも違うのです。そうすると、光が散乱してしまい、細胞内のタンパク質や核酸を見ることが難しい。そこで、光が進む速さを調節するために、細胞内の水や脂質を薬品で処理すると、細胞の様子がより分かりやすくなります。
堀江先生
昔、実験で、マウスの腎臓を立体顕微鏡で見ていたことがあるのですが、マウスだと臓器の表面から糸球体や尿細管といった腎臓のパーツを直視することができるのです。先生の技術は、細胞を薬品で処理して透明化しているということですが、生きた状態で透明化して見ることは可能なのでしょうか。
上田先生
屈折率の調整さえできれば透明化は可能ですので、薬品以外で屈折率を調節するような技術が開発できれば生体を透明化できるかもしれません。私たちの研究ではありませんが、生体を透過しやすい光で生体内を観察する光学窓という概念があります。波長によってはヘモグロビンに吸収されない光があり、その波長の光を通せばヘモグロビンに邪魔されずに見ることが可能です。
堀江先生
近年、手術用ロボットを使ったロボット手術が一般的になり、私もロボット手術をしているのですが、出血で視野が妨げられる場合があるのですね。透明化の技術がそういった点でも応用できるといいなと思っています。

https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0085253819302303
臓器が見える顕微鏡で広がる創薬の可能性
上田先生
ここまでは、細胞を透明化して細胞を見るという技術についてお話ししてきたのですが、細胞のほとんどは一つだけで働いているわけではありません。そこで一つ一つの細胞から臓器、あるいは全体を見る、解析する技術が必要になってきます。これが全細胞解析技術です。専用の顕微鏡で臓器を見るのですが、以前は一つの臓器を見るのに3〜4時間かかっていたのが最近は5分くらいで全体が見えるようになりました。
堀江先生
3時間と5分だとずいぶん違いますよね。何が変わったのでしょうか。
上田先生
技術的には光シート顕微鏡という特殊な顕微鏡を使って撮影したものを解析して全体を見ています。今までは角度や深さを変えて1枚ずつ撮影していたのですが、今は一度に何枚もまとめて撮影できるようになったのです。私たちが日常生活で使っているスマートフォンのカメラにも入っている撮像素子であるCMOSセンサーの性能が上がって、短時間での撮影が可能になりました。
堀江先生
特定の物質を見ることができれば、薬を投与した時に臓器の中でどういうことが起こっているのかを調べることができそうですね。
上田先生
臓器全体を見ることにより、どの程度薬が働いているかといった定量的な解析も可能なのではないかと思います。候補薬の効果と安全性が見極められれば、新薬の開発も促進することが可能です。
堀江先生
1980年代に尿細管をマウスやラットから摘出して、そこに薬液を流して、どの程度尿細管から薬が吸収されるかといった実験を行っていたのですが、毎日実験していても1年くらいかかるような大変な実験でした。そこから考えると本当に隔世の感がありますね。
上田先生
全細胞解析技術の場合、腎臓内すべての尿細管の様子が分かりますので、もっといろいろなことが分かるのではないかと期待しています。
堀江先生
透明化というのは、マウス以外の動物でもできるのでしょうか。
上田先生
現在は少し小さめのサルであるマーモセットでも透明化できるようになっています。また、マウスは全身の透明化に成功しました。現在は、脳の全細胞解析データを利用して、脳のどの部分がどんな機能を持っているかを示すアトラス(地図)の作成を始めています。


堀江先生
ヒトの臓器も透明化できるようになると、病気の解明などに役立ちそうですね。
上田先生
ヒトの臓器はなかなか難しいのですが、1cmくらいのスライスであれば、透明になるというところまで来ました。将来的には、いろいろな動物を透明化して、子どもたちが細胞の観察に興味を持ってもらえるようになればと思っています。
生物研究を大幅に進展させた情報技術
堀江先生
先ほどのCMOSセンサーのお話もそうですが、ITの進歩が先生の研究を大いに進展させていますよね。
上田先生
CMOSセンサーはとてもいい例で、遺伝子解析に使われる装置である次世代シーケンサーよりも圧倒的にデータ量が多いのです。現在の遺伝子解析技術は、今のセンサーの能力を生かし切れていません。
CMOSセンサーに限らず、情報デバイスの発展が生物研究を加速させていますね。私が研究しているヒトの睡眠でも今までは病院でしか測定できなかったものが、デバイスの進歩により日常生活の睡眠を測定できるようになってきています。
堀江先生
がん治療でも最近はゲノム解析を行っていますが、全身に転移するようなケースでは変異遺伝子も多いはずなのに、なかなか見つからないことが多いのです。
上田先生
解析技術は格段に進歩しているのですが、遺伝子を構成する化学物質を測定する方法は進展していなくて、そこで時間がかかっているのだと思います。
ADPKD(常染色体優性多発性嚢胞腎)研究の可能性を探る
堀江先生
ADPKD/多発性嚢胞腎という腎臓に嚢胞ができて腎機能が低下する遺伝性の病気があるのですが、その原因遺伝子と考えられているPKD1遺伝子は実はすごく脳に多いのです。その遺伝子が他にどんな役割をしているのかは分からないのですが、ADPKD/多発性嚢胞腎の患者さんは性格のよい方が多いと治療にあたっているすべての先生がおっしゃいます。
上田先生
そうなのですね。PKD1遺伝子の変異があれば、確実に嚢胞はできるのですか。
堀江先生
変異を持っている人は全員嚢胞ができるリスクはあるのですが、人によって嚢胞が発生する時期も進行する速度もまちまちなのです。健康診断で発見されて経過観察していても、生涯、治療の必要がない方もいらっしゃいます。
上田先生
細胞内のカルシウム濃度の低下が嚢胞の増殖に関係しているようですが、細胞内のカルシウム濃度を調節するような治療はないのでしょうか。私たちが行っている睡眠の研究でも、脳細胞内のカルシウム量が睡眠に関係していることが分かってきました。脳細胞にカルシウムが流入しないと眠れなくなり、カルシウムが流入すると眠くなるのです。そこで、カルシウムが流出しないマウスを使って実験すると、眠くなるということが分かりました。
堀江先生
確かに腎囊胞の増殖にカルシウムは関係しているのですが、それだけではないので、なかなか難しいのが現状です。
上田先生
なるほど。私たちの研究からは、すぐにADPKD/多発性嚢胞腎に関する臨床に応用できそうな内容はないのですが、例えば治療薬を飲む時間によって効果が出たり、副作用が減ったりすることもありますよね。そういう可能性を探っていくのも面白いのではないかと思いました。
堀江先生
今日のお話で、上田先生が医学、工学、化学、生物学のさまざまな進歩を駆使して、今まで想像ができなかったことを可能にしようとしていることが伝わったのではないかと思います。先生、どうもありがとうございました。
上田先生
ありがとうございました。


経歴
- 1985年東京大学医学部医学科卒業
- 1986年東京大学医学部泌尿器科学教室入局
- 1995年国立がんセンター中央病院泌尿器科
- 2002年杏林大学医学部 助教授 泌尿器科学教室
- 2003年帝京大学医学部泌尿器科学教室 主任教授
- 2012年順天堂大学大学院医学研究科 泌尿器外科学 教授


経歴
- 2000年東京大学医学部医学科卒業
- 2003〜10年理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター
- 2018年理化学研究所 生命機能科学研究センター 合成生物学研究チーム チームリーダー
- 2005年〜徳島大学 ゲノム機能研究センター 客員教授(兼任)
- 2006年〜大阪大学 理学研究科(生物)連携大学院(招聘教授)
- 2013年〜東京大学大学院医学系研究科 機能生物学専攻薬理学講座 システムズ薬理学 教授
2019年7月作成
SS1907417
堀江先生
先生は生命現象をシステムとして解明していくシステムバイオロジーを研究されていますが、システムバイオロジーに興味を持たれたのはいつぐらいからですか。