ADPKD(常染色体優性多発性嚢胞腎)という病気は、特徴的な遺伝子がもたらす“体質”の1つ
ADPKD(常染色体優性多発性嚢胞腎)を説明するとき、腎臓に嚢胞ができる、治す方法がない、そして遺伝するといった病気の特徴に焦点を当てがちです。確かにADPKD/多発性嚢胞腎の患者さんにはPKDという遺伝子に“変異”があることがわかっています。しかし、すべての人種で2,000人に1人という、遺伝性疾患としてはとても高い割合で見つかるこの遺伝子変異は、海で誕生した生命がやがて陸上へ、そしてヒトへと進化してくる過程で、何らかの必要に応じて獲得された“体質”の名残であるかもしれません。
実際に私はこれまでの経験から、ADPKD/多発性嚢胞腎の患者さんは、穏やかで人との関係を上手に築ける人が多く、また、女性の患者さんはお子さんが多いという印象をもっています。PKDという遺伝子の違いが性格や妊娠にも影響するというのは信じ難いかもしれませんが、嚢胞を大きくする作用があるバソプレシンというホルモンは、人のナワバリ意識とも関係があるといわれているんです。バソプレシンがもともと、生物が生きるのに必須な水を体内に溜めるために備わったホルモンであることを考えれば、その水を確保するためのナワバリ意識にも影響する、つまりは性格にも影響するということも想像できるのではないでしょうか。
つまりADPKD/多発性嚢胞腎とは、遺伝子のわずかな違いによる“体質”の1つとして現れたものであり、その“体質”は、何かしらあなたによい影響を及ぼしているかもしれないのです。
治療薬の登場で、患者さんと医師との対話が始まる
これからのADPKD/多発性嚢胞腎診療を語るうえで注目すべきは、なんといっても新しく治療薬が登場したことです。日本が世界で初めてADPKD/多発性嚢胞腎の治療薬を研究・開発し、それを世界に先駆けて日本の患者さんで使えるようになったことは、この病気の診療に携わってきた私たちにとって感慨深いものです。
新しい薬は、バソプレシンという抗利尿ホルモンの作用を抑える薬で、これにより嚢胞が大きくなること、腎臓の機能が低下することを抑える効果が期待できます。こうした薬の作用もさることながら、これまでに何も治療法がなかったADPKD/多発性嚢胞腎に初めて治療薬が登場したことが何よりも喜ばしい診療における大きな変化だと思います。
これまではADPKD/多発性嚢胞腎にはいわゆる対症療法しかなかったため、患者さんがADPKD/多発性嚢胞腎と診断されても、私たち医師も受け身でしか対応ができず、「何かあったら来てください」と言うことしかできませんでした。患者さんと対話をする“術”がなかったのです。でも、これからは将来への不安や子どものことなども含めて、治療を通して患者さんとの対話ができるようになります。患者さんと医師との対話ができるようになること、それこそが患者さんにとっての大きな福音ではないかと思っています。
これからのADPKD/多発性嚢胞腎診療は、医師が患者さん・ご家族の人生に伴走
ADPKD/多発性嚢胞腎の治療薬が承認されたことは、患者さんと医師との対話だけでなく、医師同士の対話をも始めさせるきっかけとなりました。これまで以上に多くの医師、そして若い研究者が、ADPKD/多発性嚢胞腎の診療や研究に関心を持ってくれることを期待しています。
また、医学の発展は、患者さんの協力あってのものです。ADPKD/多発性嚢胞腎の治療薬も、承認に至る過程では開発のための治験に参加してくれた患者さんがいらっしゃいました。医学の進歩とは、患者さんの負担を取り除くこと、自由度を高めることです。そのためには、医師が患者さんと手を取り合って、医学の発展・研究に取り組むことが必要です。実際に今、ADPKD/多発性嚢胞腎の診療のための国際的なガイドラインを作成しようという動きがありますが、その会議には医療従事者だけでなく患者団体も参加しており、患者さんと医療従事者との絆の重要性を強く感じました。
私が参加する厚生労働省のADPKD/多発性嚢胞腎に関する研究班では、ADPKD/多発性嚢胞腎についての理解を共有しようと、「まんがで知る多発性嚢胞腎」という小冊子を作成しています。これまでに2万部以上が配布され、患者さんやご家族をはじめとした多くの人に、この病気について知ってもらうのに役立っていますが、私はこの冊子の最後のページにある、「人生楽しまなくちゃね」という言葉をとても気に入っています。治療薬の登場により、ADPKD/多発性嚢胞腎患者さんの診療=人生に、私たち医師が伴走できるようになりました。ただ黙々と走るのではなく、お互いに話し合いながら、楽しく、ともに進んでいきましょう。
堀江 重郎
順天堂大学医学部泌尿器科学講座 泌尿器外科学 教授
1985年 | 東京大学医学部卒業 東京大学病院救急部で研修後、泌尿器科学を専攻 東京大学病院、武蔵野赤十字病院、都立墨東病院に勤務 |
1988年 | 米国テキサス州で医師免許取得 Parkland Memorial Hospital, Methodist Hospitalで腎移植、 泌尿器科臨床に従事 |
1995年 | 国立がんセンター中央病院スタッフ |
1998年 | 東京大学医学部 講師 |
2002年 | 杏林大学医学部 助教授 |
2003年 | 帝京大学医学部(泌尿器科学) 主任教授 |
2012年 | 順天堂大学医学部泌尿器科学講座 泌尿器外科学 教授就任 |