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第10回 堀江 好一さん

“患者さん”と“医療従事者”という2つの立場を経験することで、患者さんをより身近に感じるようになりました。

“患者さん”と“医療従事者”という2つの立場を経験することで、患者さんをより身近に感じるようになりました。

埼玉県にある独立行政法人 地域医療機能推進機構 さいたま北部医療センターで診療放射線技師として活躍する堀江好一さん。ご自身も患者さんの立場になったことで、医療従事者としての仕事への姿勢にも変化が生まれています。患者さんが病気を上手に受け入れる“心の準備”のために、情報提供ときめ細かな対応に力を尽くす堀江さんにお話を伺います。

埼玉県にある独立行政法人 地域医療機能推進機構 さいたま北部医療センターで診療放射線技師として活躍する堀江好一さん。ご自身も患者さんの立場になったことで、医療従事者としての仕事への姿勢にも変化が生まれています。患者さんが病気を上手に受け入れる“心の準備”のために、情報提供ときめ細かな対応に力を尽くす堀江さんにお話を伺います。

診療放射線技師である妻が偶然ADPKDを発見 診療放射線技師である妻が偶然ADPKDを発見

堀江さんはその日、同じ診療放射線技師である奥様に頼まれ、超音波検査の練習台になっていました。そして、腎臓にたくさんののう胞と、その中のひとつに腫瘍があることが発見されたのです。32歳の時でした。
まだ学生だった20歳の頃に、交通事故に遭った経験があるという堀江さんですが、実はその際、CTによる検査で腎臓にのう胞が発見されていました。しかし、当時の担当医から「特に問題ない」と言われていたため、堀江さんご自身も気にしないままで過ごしていたそうです。「家族の中に、人工透析を受けたり腎臓が悪かったりする者は1人もいませんでしたから、当時は私自身も多発性のう胞腎(ADPKD)という疾患自体を知りませんでした」。

奥様によりADPKDを発見された後、病院でさらに精密な検査を受けました。すると、のう胞内の腫瘍は悪性の可能性が高いと診断され、左腎臓の4分の1を切除する手術が必要となりました。当時は、腫瘍に対する不安が大きく、自覚症状のないADPKDについてはさほど不安には感じなかったと堀江さんは振り返ります。「私よりも母のショックの方が大きかったですね。親族に腎臓疾患の者は1人もいなかったので、なぜ自分の息子だけが遺伝性の病気にかかるのかと落ち込んでしまって。慰めるのに苦労しました」。手術の結果、腫瘍が悪性ではなかった事が分かり不安がなくなった堀江さんは、ADPKDについての情報収集を始めます。その時、ある患者会のサイトで「You are not alone!」というメッセージを見つけ、初めてショックを感じたと言います。「腎臓機能は正常値で自覚症状もないのに、自分は『あなたは1人ではない』と励まされるほど重い病気なのかと認識した瞬間でした」。

自分が診てもらいたいと思える医療従事者を育てたい 自分が診てもらいたいと思える医療従事者を育てたい

堀江さんがADPKDと診断されたのは20年以上前の話であり、治療法もまだなかった時代でした。情報量も少なく、人工透析に至る場合があることは分かっても、自分がそこに当てはまるのかどうかの判断材料がなかったことがもどかしかったと言います。
そんな状況下で心の支えとなったのが、ご自身にとって同僚でもある主治医の存在でした。医師と患者さんという関係である一方、同じ医療従事者同士ということもあり、主治医は「普通に生活していればいいよ」と、ざっくばらんに接してくれた対応がありがたかったそうです。
「医療従事者として病気に関する情報の取捨選択ができる部分もあるため、主治医からはさまざまな情報をもらいましたが、その全てにすがることはしませんでした。“決定のイニシアチブは自分で握る”――医療従事者としてそれができ、またそうしたかったこともあるため、意見を押し付けてこない主治医の接し方には救われました」。
患者さんと医療従事者という2つの立場にある堀江さんは、ADPKDと診断されて以来、患者さんとのコミュニケーションをより積極的に心掛けるようになったと言います。「診療放射線技師は無口な人間が多い傾向にありますが、私は以前からコミュニケーション重視派でした。病気になってからは、患者さんにさらに分かりやすく丁寧に情報を提供したいと感じるようになりました。病気への理解が深まれば取捨選択もしやすくなるため、情報は多い方がいいと私自身が患者さんの立場になった時に感じましたから」。
2011年の東日本大震災以降は放射線への不安が高まり、レントゲンやCTを撮っても大丈夫なのかという患者さんからの質問が増えたそうです。そうした時に堀江さんは、放射線検査・治療と食生活の乱れや喫煙によるリスクを比較するなど、患者さんにとって身近な事柄を引き合いに出して説明をしています。また、口頭での説明で納得されない場合はデータを提示するなど、患者さんの理解を深めることに力を尽くしています。これも、堀江さんご自身がADPKDを発症したからこそ取り組んでいることです。

「どんな病気でも、患者さんには不安が付きまといます。しかし、データなどで病気に対する理解が深まると、ある程度の覚悟のようなものができると私は思っています。ADPKDは治る病気ではありませんが、理解を深めることで現実を受け入れる心の準備ができます」。ADPKDの場合、“心の準備”は非常に重要であると堀江さんは言います。そうしたご自身の思いが、医療従事者として患者さんに接する際の力になっています。
2015年からADPKDの治療を開始した堀江さんは今、高度な専門技術とともに高いホスピタリティを持つ若手の診療放射線技師を育てることにも意欲を燃やしています。それも病気の経験が後押ししているのだそうです。「自分が年寄りになって病院に行った時、こういう医療従事者に診てもらいたいなと思える仕事がしたいですね。また、そういった仕事ができる若手を育てて、医療の質を上げることに貢献したいと考えます」と、将来の夢を語ってくださいました。

ADPKDと診断された患者さんへのメッセージ

「何事もやってみなければ分からない」。これが私のモットーです。ADPKDと診断されても、何かを制限したり止めたりする必要は必ずしもないと思います。現に私はスポーツが大好きで、スキューバダイビングやテニスを楽しむこともあり、月に3回程度はゴルフにも出掛けています。そして、治療にも一生懸命取り組んでいます。病気になるとマイナス面ばかり考えがちですが、病気をしっかりと理解した上で情報を取捨選択し、できることにはどんどんチャレンジしていきましょう。

「何事もやってみなければ分からない」。これが私のモットーです。ADPKDと診断されても、何かを制限したり止めたりする必要は必ずしもないと思います。現に私はスポーツが大好きで、スキューバダイビングやテニスを楽しむこともあり、月に3回程度はゴルフにも出掛けています。そして、治療にも一生懸命取り組んでいます。病気になるとマイナス面ばかり考えがちですが、病気をしっかりと理解した上で情報を取捨選択し、できることにはどんどんチャレンジしていきましょう。

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