一覧に戻る

第5回東京都在住Yさん

ADPKDは、死に直結する病気ではありませんし、多くの人は人生後期まで発病しません。
のう胞腎に取り込まれるのではなく、与えられた人生の相棒として病気を良く理解し、一緒に生きていってください。

ADPKDは、死に直結する病気ではありませんし、多くの人は人生後期まで発病しません。 のう胞腎に取り込まれるのではなく、与えられた人生の相棒として病気を良く理解し、一緒に生きていってください。

30代半ばでADPKDと診断されたYさん。55歳から透析療法を開始しましたが、その後も59歳までは外資系企業にて精力的にお仕事をされていました。現在は仲間と行く冬場のスキーが楽しみというYさんに、ADPKDと診断されて以降の生活についてお話しいただきました。

30代半ばでADPKDと診断されたYさん。55歳から透析療法を開始しましたが、その後も59歳までは外資系企業にて精力的にお仕事をされていました。現在は仲間と行く冬場のスキーが楽しみというYさんに、ADPKDと診断されて以降の生活についてお話しいただきました。

Q どういった経緯でADPKDであることを知りましたか? Q どういった経緯でADPKDであることを知りましたか?

私が34歳(1985年)、田舎を訪れていた時のことです。朝起きてトイレに行った直後にお腹に激痛が走り、近所の休日診療所を受診しました。その時は、受付の手続きをしている最中に痛みが嘘のように無くなったんです。後日東京に戻って大学病院で精密検査を受けたところ、痛みの原因はわからずじまいでしたが、「痛みとは関係ないが多発性のう胞腎(ADPKD)だろう」と担当医に告げられました。その担当医からは「良性ののう胞なので心配ありません。時々診察を受けてください」とだけ言われ、この病気が遺伝性であることや将来腎不全になるといった情報は伝えられませんでした。ADPKDの診療ガイドラインが初めて出たのが1995年とのことですので、私が診断を受けた1985年頃は病院一般の診断がこの程度だったと思います。結局私は、その後全く診察を受けずに過ごしました。そして、49歳(2000年)の時に受けた会社の健康診断で尿酸値過多が指摘され、再診となりました。かつてADPKDと診断されたことがあると医師に伝えたところ、東京女子医科大学病院の多発性のう胞腎専門の先生をすぐに紹介され、腎不全の治療が始まりました。ADPKDが遺伝性の病気であること、腎不全が悪化し将来透析になることなどは、この頃に調べて知ったのだと記憶しています。
ADPKDという病気についての詳しい説明は、2001年に開催された「のう胞性腎疾患研究会」主催の公開市民講座の場で初めて聞き、この病気の患者会があることも知りました。

Q ADPKDの症状についてお聞かせください。 Q ADPKDの症状についてお聞かせください。

この病気は、本人の自覚がないところで徐々に悪くなっていきます。慢性病の怖さですね。
私は、40歳代半ばから毎冬月2回程度スキーに行っているのですが、透析導入直前のスキー講習では、吹雪の中で足がつってしまい、講習から離れてベースに戻ることにするも、その途中も雪の中に何度も倒れこむような状態で大変な思いをしました。透析直前のこの頃が、腎不全で一番体調がひどい時期でした。また、その前年は、スキーをしている時にコブ斜面で背中を強打して血尿が出ることがありました。のう胞の形状は様々で、卵に例えるならば、出荷できないほど柔らかい殻の卵もあれば、ダチョウの卵のように金槌で叩いても割れない殻の卵もあるので、自分ののう胞の状態に合わせて付き合っていくことが大切なのだと思います。

Q 透析開始後の生活についてお聞かせください。 Q 透析開始後の生活についてお聞かせください。

血清クレアチニン値10 mg/dLに達し、55歳で血液透析を開始しました。最初のうちは週2回各3時間で、血液検査の状況を見ながら増やしていき、1年半ほどしてから現在の週3回各4時間になりました。体調は透析を始めてからはいたって良好です。通常は1日空きで週末だけ2日空きですが、透析6年目までは年末年始は3日空きも許してもらっていました。
また、勤務先が外資系だったのですが、3日空きでシドニー出張や2日空きでシンガポール出張もこなしていました。医師と相談の上で自分の体調をきちんと管理し、かつ勤務先の理解があったので、透析導入後もある程度のことはできていました。

Q 日常生活では、どのようなことに気をつけていらっしゃいますか? Q 日常生活では、どのようなことに気をつけていらっしゃいますか?

他の患者さんの参考にならないかもしれませんが、私は、わりと自由気ままに生活しています。透析を開始する前は、塩分以外で特段の食事制限はしていませんでした。透析導入後は、まだ尿が日に300ccほどは出ますので、食事制限は行っていますが厳しいものではありません。食事で特に気をつけているのは、塩分制限と透析のためのカリウム制限です。果物は、いちご3粒とかりんご4分の1個とかを朝食べるヨーグルトに入れるだけにしています。野菜のカリウムは妻が水にさらしたり、茹でこぼしたりして処理してくれているようですが、未処理の生野菜のサラダも時々は食べています。
運動は冬場のスキー以外は特にやっていませんが、日常生活では家や駅の階段をなるべく使うなどを意識してやっています。
タバコは結婚前に止めました。酒は腎不全の治療が始まってから、肝のう胞による肝臓の数値の低下もあり、また、時代柄、会社帰りに若い人が一緒に飲みに行ってくれなくなったこともあり、50歳ぐらいで止めました。飲み会でも「飲みません」が許してもらえる時代になっていたのですね。でも、フルコースの食前酒が出た時は飲んでいます。
近年では、認知症予防と趣味で、科目等履修生として大学に通っています。学生に混じって週2科目ほど履修し、もちろん試験も受けているのですが、これが結構キツいんですよ。

Q 新たな治療法が生まれたことをどのように受け止めていますか? Q 新たな治療法が生まれたことをどのように受け止めていますか?

私は、勤務先が外資系だったからかもしれませんが、透析になっても時間のやりくりでそれまでの業務をこなすことができ、透析を理由にした異動などもありませんでした。ところが、59歳の時に、会社の都合で私のいた部署が日本支社から無くなることが決まり、退職することになりました。その後、透析患者としての再就職はできませんでした。透析による時間制限があるので、正常者の業務に採用されることは困難ですし、障害者の採用枠はいわゆる従来の「医学モデル」の障害者の業務のみで、透析という「社会モデル」の障害者向けの採用枠は公共職業安定所にはほとんどありません。(最近、透析枠も出てきたようですが・・・)
結局、私の場合は障害者年金に頼るしかありませんでした。(国家的損失だとは思います)
したがって、まだ初期のADPKD患者の皆さんには、治療の多少の不便さと、人並みに定年まで働く重要性について良く比較検討して欲しいと思います。

Q ADPKDという病気をご家族はどのようにとらえていらっしゃいますか? Q ADPKDという病気をご家族はどのようにとらえていらっしゃいますか?

私の場合というか時代は、診断を受けても遺伝病だとは告げられず、また、診断を受けた時には既に2人の子どもがいました。家族は、診断後も従来と何ら変わりなく接してくれています。また、妻は一時関西で暮らしていたことがあり、時代的にも減塩食が叫ばれていますので、すんなりと減塩食が家族全員に取り入れられました。仕事もほぼ定年近くまで続けられましたので、その後の無職の状態も無理なく受け入れてもらっています。「社会モデル」の障害者は、普通に生活できるのが一番で、これらの条件が違っていたら、それなりに苦労をしていただろうと思います。

私達の時代は結婚前に「性病」に罹っていないかを検査して婚約した相手に提示するのがマナーでした。かといって、ADPKDという病気の遺伝子診断を婚前に行い、その結果を相手に提示するかどうか、相手に話すかどうか、非常に悩ましいところです。
何人かのADPKD患者さんから、お子さんが結婚前に相手に病気のことを話して受け入れてもらえたというエピソードをお聞きし、明るい気持ちになりました。いずれにせよ、一生付き合う家族の理解は大事だと思います。

Q 今後の目標についてお聞かせください。 Q 今後の目標についてお聞かせください。

今後の人生の14分の1は透析ですが、長生きしようと思っています。また、多額の国費で助成してもらって透析を受けていますので、少しでも社会貢献できればと患者会を手伝わせてもらっています。時々スキーをご一緒する87歳と74歳の知人がいるのですが、二人とも今でも僕よりアクティブに滑っています。こうした方々を目標に生きていきたいと思っています。

ADPKDと診断された患者さんへのメッセージ

ADPKDは、死に直結する病気ではありませんし、多くの人は人生後期まで発病しません。「専門家コラムリレー」で順天堂大学の堀江先生や虎の門病院の乳原先生がおっしゃっているように、ADPKDの患者には魅力的な人が多いのかもしれません。のう胞腎に取り込まれるのではなく、与えられた人生の相棒として病気を良く理解し、一緒に生きていってください。私は、ネガティブ思考とストレスが、この病気の一番の大敵だと思っています。


ADPKDは、死に直結する病気ではありませんし、多くの人は人生後期まで発病しません。「専門家コラムリレー」で順天堂大学の堀江先生や虎の門病院の乳原先生がおっしゃっているように、ADPKDの患者には魅力的な人が多いのかもしれません。のう胞腎に取り込まれるのではなく、与えられた人生の相棒として病気を良く理解し、一緒に生きていってください。私は、ネガティブ思考とストレスが、この病気の一番の大敵だと思っています。

患者会の今後 患者会の今後

アメリカ、ヨーロッパや韓国のように、また、日本の他の難病の患者会も、多くの患者が患者同士を助けあって活動しています。日本のADPKDの患者会も多くの患者が他の患者を助けあうようになれればいいなと願っています。

このページの先頭へ