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鯉沼 マリ

弟2回 鯉沼マリさん

この病気の人は、とても前向きでアクティブな人が多いと思います。私自身もそうですが、透析になる前に、いまできることを一生懸命やろう、そういう気持ちがあるからでしょうね。実際に透析が始まってからも、陶芸はもちろん、大好きな旅行も諦める必要はなく、今でも続けているんですよ。

この病気の人は、とても前向きでアクティブな人が多いと思います。私自身もそうですが、透析になる前に、いまできることを一生懸命やろう、そういう気持ちがあるからでしょうね。実際に透析が始まってからも、陶芸はもちろん、大好きな旅行も諦める必要はなく、今でも続けているんですよ。

多発性のう胞腎(ADPKD)という病気を抱えながら陶房「青華」を開き、陶芸家として活動されてきた鯉沼マリさん。同じ病気で若くして亡くなられたお母様の時代は、「腎臓にのう胞ができる遺伝性の
病気」というだけで病名もなく、透析もまだ一般的な治療として普及していなかったそうですが、今は、次の世代に「あなたたちのときは大丈夫」といえる時代になったといいます。ADPKDを取り巻く医学が進歩し、社会的な環境が変化するなか、これまでの体験を、ご自身の病気と向き合ってこられた鯉沼さんにお話しいただきました。

多発性のう胞腎(ADPKD)という病気を抱えながら陶房「青華」を開き、陶芸家として活動されてきた鯉沼マリさん。同じ病気で若くして亡くなられたお母様の時代は、「腎臓にのう胞ができる遺伝性の病気」というだけで病名もなく、透析もまだ一般的な治療として普及していなかったそうですが、今は、次の世代に「あなたたちのときは大丈夫」といえる時代になったといいます。ADPKDを取り巻く医学が進歩し、社会的な環境が変化するなか、これまでの体験を、ご自身の病気と向き合ってこられた鯉沼さんにお話しいただきました。

Q どのような経緯で多発性嚢胞腎であることを知りましたか? Q どのような経緯で多発性嚢胞腎であることを知りましたか?

19歳のときに母が亡くなり、1/2の確率で自分にも同じ病気の可能性があることを知りました。30歳を過ぎた頃に健康診断で高血圧を指摘され、その後の検査結果で多発性のう胞腎と診断されました。
当時の主治医は、その病院に赴任したばかりの方だったのですが、「一緒に勉強していきましょう」と言ってくださいました。そして、その言葉通り、それ以降ずっと私の主治医として私を支えてくださり、その後に立ち上げられた患者会の顧問にもなってくださって、今ではこの病気の権威のお一人となられています。
先生はしばしば「患者も医者を育てるんだ」とおっしゃいます。このように安心して身を委ねられる主治医に出会えたことは、私にとって重要なことだったと思います。

Q ADPKDと診断されて以降の生活についてお聞かせください。 Q ADPKDと診断されて以降の生活についてお聞かせください。

病気への覚悟はありましたが、診断されたときは、やはりショックでした。思い悩んでもしょうがないと受け入れて、何ができるのかを考えていたときに通い始めたのが陶芸教室でした。陶芸家としてプロになることは想像以上に大変でしたが、一心不乱に打ち込めたのは、この病気があったからかもしれません。8年間の弟子入り後に独立して窯をもち、その間も年に2回くらいは海外の遺跡や美術館などを見て回りました。透析治療を余儀なくされたら、陶芸も、旅行もできないと思っていたからです。
実際には、透析になった今も陶芸を続けていますし、旅行にも行っています。昨年はハワイにも行きました。透析を受けている間の時間を、強制休養のための時間と前向きに捉えたら、その分、それ以外の時間をアクティブにイキイキと過ごせるようになると思います。

鯉沼 マリ

鯉沼 マリ

Q 新たな治療法が生まれたことを、どのように受け止めていますか? Q 新たな治療法が生まれたことを、どのように受け止めていますか?

この朗報が届くことをずっと期待していましたので、すごく嬉しく思っています。のう胞の増大が抑制される、すなわち透析導入までの時間が延長されることは、私たち患者の一番の願いです。
薬の治験に参加した人たちは皆、自分にできる全てのことをして次世代に引き継いでいければと言っていました。このように次世代の子どもたちに残せるものが誕生して、本当によかったと思います。

Q 今後の目標をお聞かせください。 Q 今後の目標をお聞かせください。

今の目標は、50歳を過ぎてから始めた長唄三味線の上達でしょうか。長唄三味線については伝統芸能としての素晴らしさ、陶芸と違って失敗の許されない精神集中の厳しさに魅せられています。
目標のない人生はつまらないと思います。私の周りには、若くしてがんで亡くなった方が何人かいて、ADPKDに限らず誰にでも病気のリスクはあるのだと思うようになりました。これからも今と変わらず、目標をもって生きていきたいと思います。

鯉沼 マリ

鯉沼 マリ

診断がついたときは私もショックでしたが、それを思い悩んでいても何も変わらないので、病気を受け入れ、何ができるかを考えて明るく生きたほうがいいと思います。病気のおかげで弱い立場の人の気持ちがわかるようになり、成長させてもらったとも思っています。この病気は、すぐに症状がでる病気でも、急に進行する病気でもありませんので、悲観的にならず、目標をもって、いまできることを一生懸命やってほしいと思います。

ADPKDと診断された患者さんへのメッセージ

"診断がついたときは私もショックでしたが、それを思い悩んでいても何も変わらないので、病気を受け入れ、何ができるかを考えて明るく生きたほうがいいと思います。病気のおかげで弱い立場の人の気持ちがわかるようになり、成長させてもらったとも思っています。この病気は、すぐに症状がでる病気でも、急に進行する病気でもありませんので、悲観的にならず、目標をもって、いまできることを一生懸命やってほしいと思います。

鯉沼 マリ

鯉沼 マリ 陶芸家鯉沼 マリ
陶芸家

東京巣鴨生まれ。青山学院女子短期大学卒業。30代から陶芸を始め、上瀧勝治氏に師事。同年、千葉県展で入賞するなど頭角を現し、91年「伝統工芸新作展」にて入選。
同年には初個展を開き、今日に至るまで毎年開催している。93年、佐倉市吉見に「青華」を築窯し、教室を開催。98年「日本伝統工芸展」にも入選し、多数、展覧会への出展を続けている。
日本工芸会準会員。千葉県美術会準委嘱。
30代に多発性のう胞腎(ADPKD)と診断され、以降数十年にわたり、治療を続け、現在は透析に移行。

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